ミッチーのライブに行って泣いた
ミッチーのライブに行ってきた。有楽町の東京国際フォーラム。
ミッチーのライブは友人と行くのだが、ライブのあと、いつも現実に引き戻される悲しみを感じ心身ともに疲弊してしまうのでその前に軽く飲酒をする。今日もした。
いつもより遠い席だったけど、ミッチーはミッチー然としていて、かっこよくて麗しくて美しくて完璧な生き物だった。歌って踊ってきらきらしていた。
ミッチーのライブではコールアンドレスポンスがあって、「愛してますか」のミッチーの問いに、「愛してまーす」と観客が答える儀式みたいなのがある。これは麻薬みたいなもので、そのあとミッチーが「俺も」とか「愛してるよ」とか決め台詞を言うと、もうそれが本当のことのように思える。麻薬である。
今日もこの儀式があって、いつもの、上記のやりとりのあとミッチーが「愛されてますか?」と聞いた。
わたしはすごくたじろいだ。
ミッチーに愛されてるとか愛されてないとかそういうのではなく、わたしは今生きていて、愛されていると感じていない。
同居してる家族にもそうは思えない(思えないのはわたしの問題で、家族はわたしに世話を焼いてくれているし、ご飯がなかったことも、お風呂が焚かれていなかったこともない。時間が合えば送り迎えだってしてくれる、いい家族だ)し、わたしを愛してくれる恋人もいない。
自分が愛されたくて愛されたくて愛されたくて堪らなくて、それが叶えられない可哀想な存在であったことを、わたしは気付いたのだ。気づきたくなんてなかった。
ただただかっこいいミッチーを観て、王子様の舞踏会を覗き見る庶民の女でよかったのに。
そんな事実突きつけられたくなかった。
わたしはすごくかなしい。愛されてないと感じるわたしの感受性を恨む。こんなに恵まれた環境に身を置けていることに感謝するべきなのに。まだ求めてる自分の貪欲さに辟易する。
題の通り、ライブ中に泣いて、まあなんとか持ち直してかっこいいミッチーを鑑賞した。
終わったあと、涙を拭った手の甲がきらきらしていた。久しぶりにきらきらするパウダーをはたいて、それが移っていた。